「忸怩」の語源とは?「忸」「怩」の意味と古い用例から由来を解説

忸怩の語源となった古代中国をイメージした宮殿と人々

忸怩(じくじ)」は、「忸怩たる思い」などの形で
「自分の行いや態度を深く恥じる意味」
で使われる言葉です。

しかし、「忸」と「怩」は普段ほとんど目にしない漢字だけに、なぜこの二文字で「恥じ入る」という意味になるのか疑問に感じる方もいるでしょう。

「忸怩」は日本で新しく作られた言葉ではなく、中国の古い文献にも用例が見られる漢語です。
この記事では、「忸」「怩」それぞれの意味から、中国古典に残る実際の用例、日本での古い使用例、現在の「忸怩たる思い」へつながる意味まで、言葉の歴史をたどりながら解説します。

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「忸怩」の語源とは?

「忸怩(じくじ)」は、日本で近年作られた言葉ではなく、中国の古い文献にも見られる漢語です。

現在の日本語では「自分の行いなどについて、深く恥じ入ること」という意味で使われ、「忸怩たる思い」「忸怩として恥じる」などと表現します。

この「深く恥じる」という意味は、かなり古い時代の用例にもつながっています。

「忸怩」は中国の古典にも見られる言葉

「忸怩」の古い用例として知られているのが、中国古典の『書経(尚書)』「五子之歌」です。

そこには、

「顏厚有忸怩」

という一節があります。

日本の漢字辞典では「顔厚忸怩(がんこうじくじ)」の典拠としてこの『書経』を挙げ、「忸怩」を心に恥じて身をちぢめることと説明しています。

つまり、「忸怩」は現代になって「恥じる」という意味になったのではなく、**古い中国の文章でも恥の感情と結びついていた言葉**であることがわかります。

この『書経』の文章については、後の章で前後の意味も含めて詳しく見ていきます。

日本でも古くから使われている

「忸怩」は中国から日本に入った漢語で、日本でも古くから知られていました。

『日本国語大辞典』では、平安時代末期に成立した古辞書『色葉字類抄』(1177~1181年)を「忸怩」の古い出典として挙げています。

したがって、日本でも少なくとも12世紀には「忸怩」という語が確認できることになります。

さらに近代になると文学作品にも用例が見られ、現在まで使われ続けています。

語源を知るには「忸」と「怩」を見る必要がある

では、なぜ「忸怩」が「恥じる」という意味を表すのでしょうか。

「忸」と「怩」は、どちらも「忄(りっしんべん)」を持つ漢字です。

「忄」は「心」に由来する部首で、感情や心の動きに関係する漢字に多く使われます。

「忸」には「恥じる」のほか「慣れる」という意味もあり、「怩」には「恥じる・恥じらう」という意味があります。

そのため、「忸怩」の語源を単純に「忸=恥じる+怩=恥じる」だけで説明するのは十分ではありません。

漢字それぞれの意味と、実際に古い文章の中で「忸怩」がどのように使われていたのかを合わせて見ることが大切です。

現在使われている「忸怩たる思い」の意味や読み方、具体的な使い方については、こちらで詳しく解説しています。
「忸怩たる思い」とは?意味・読み方と使い方を例文付きでわかりやすく解説

次の章では、「忸」と「怩」の二つの漢字について、それぞれの意味を詳しく見ていきます。

「忸」と「怩」にはどんな意味がある?

「忸怩」という言葉を理解するには、「忸」と「怩」を一字ずつ見ていくとわかりやすくなります。

どちらも「忄(りっしんべん)」を持ち、心の動きに関係する漢字ですが、それぞれがまったく同じ意味だけを持っているわけではありません。

特に「忸」には、「恥じる」とは別に「慣れる」という意味がある点に注意が必要です。

「忸」には「恥じる」「慣れる」という意味がある

「忸」は「ジュウ・ジク」などと読み、訓読みでは「はじる」「なれる」とされる漢字です。

「恥じる」という意味では、恥ずかしく感じて心が落ち着かないような状態を表します。

一方で、「慣れる」「なじむ」という意味でも使われます。

つまり、「忸」という漢字そのものが常に「恥」を意味するわけではありません。

「忸怩」という熟語では「恥じる」という意味に結びついていますが、「忸」の持つ意味を一つだけ取り出して語源とするのは注意が必要です。

「怩」は「恥じる」「恥じらう」という意味

「怩」は「ジ・ニ」などと読み、「はじる」「はじらう」という意味を持つ漢字です。

「忸」と同じように「忄」が付いていることからも、外見上の状態ではなく、心の動きに関係する漢字であることがわかります。

現在の日本語では「怩」を単独で目にする機会はほとんどありませんが、「忸怩」という熟語の中に残っています。

「忸怩」が心の中で恥じ入ることを表す意味につながっていることを理解するうえで重要な漢字です。

二つの漢字にはどちらも「忄」が付いている

「忸」と「怩」に共通しているのが「忄(りっしんべん)」です。

「忄」は「心」という漢字が偏になった形で、「情」「怖」「悔」「恨」など、感情や心の働きを表す多くの漢字に使われています。

漢字主な意味特徴
恥じる・慣れる「恥」以外の意味も持つ
恥じる・恥じらう心の中で恥じることに関係する

この二字から成る「忸怩」は、現在では「深く恥じ入ること」を表します。

ただし、漢字を一字ずつ現代語に置き換えただけでは、その言葉がいつ、どのような意味で成立したのかまではわかりません。

語源を確かめるうえで重要なのは、実際の古い用例を見ることです。

そこで次の章では、中国古典『書経』に残されている「忸怩」の用例「顏厚有忸怩」を取り上げ、当時どのような意味で使われていたのかを詳しく見ていきます。

中国古典に残る「忸怩」の古い用例

忸怩の古い用例が残る中国古典をイメージした竹簡

中国古典『書経』には、「忸怩」を含む古い用例が残されています。

「忸怩」の語源を知るうえで重要なのが、中国古典『書経(尚書)』の「五子之歌」に残されている用例です。

「忸」と「怩」という漢字の意味から推測するだけではなく、実際に古い文章の中で「忸怩」がどのように使われていたのかを見ることで、現在の意味とのつながりがはっきりしてきます。

『書経』「五子之歌」に「忸怩」が登場する

「五子之歌」には、次の一節があります。

「鬱陶乎予心、顏厚有忸怩。」

この中に、現在と同じ二文字の「忸怩」が使われています。

前後には、

「萬姓仇予、予將疇依?」

「弗慎厥德、雖悔可追?」

などの言葉が続きます。

現代語で大意をとれば、「人々から恨まれ、誰を頼ればよいのか。心は憂いに沈み、恥じる気持ちがある。徳を慎まなかったことを、いまさら悔やんでも取り返せるだろうか」といった内容です。

つまり、この「忸怩」は単に照れたり気まずく感じたりする程度ではなく、自らのあり方を振り返り、心に恥じる文脈に置かれています。

古い注釈には「忸怩、心慚」とある

さらに重要なのが、『書経』に付された古い注釈です。

「顏厚有忸怩」の部分について、

「顏厚、色愧。忸怩、心慚。」

と説明されています。

「色愧」は顔に現れる恥ずかしさ、「心慚」は心の中で恥じることと考えるとわかりやすいでしょう。

つまり、古い注釈の段階ですでに、

「忸怩=心に恥じること」

と理解されていたことになります。

現在の「忸怩=深く恥じ入る」という意味につながる解釈が、古い注釈にもはっきり残っているわけです。

「顏厚」と「忸怩」は外と内の恥を表している

この一節で興味深いのは、「顏厚」と「忸怩」が並べて使われていることです。

後世の注釈では、「顏厚」を外に現れた恥ずかしさ、「忸怩」を内心の恥として説明しています。

さらに『尚書正義』では、外見では「顏厚」、内面では「忸怩羞慚」という趣旨の解釈が示されています。

表現古い注釈での説明
顏厚色愧―外に現れる恥ずかしさ
忸怩心慚―心の中で恥じること

ここまで見ると、「忸怩」が単なる「恥ずかしい表情」を表していたのではなく、心の内側にある恥の意識を表す言葉として理解されていたことがわかります。

現在の「忸怩たる思い」につながる意味が見える

現在の日本語では、

「自分の不十分な対応に忸怩たる思いを抱く。」

「責任を果たせなかったことに忸怩たる思いです。」

などと使います。

これらも、自分の行いや態度について「心の中で深く恥じる」ことを表しています。

『書経』の「忸怩」と現在の「忸怩たる思い」が、まったく同じ文法や使われ方だったということではありません。

しかし、古い注釈にある「忸怩、心慚」という説明を見ると、「心に恥じる」という意味の核は非常に古い時代から確認できることがわかります。

「忸怩たる思い」がなぜ「悔しい」「もどかしい」ではなく「自分を深く恥じる」という意味なのかも、この古い用例を見ると理解しやすいでしょう。

次の章では、『書経』以外の古い中国文献にも目を向け、「忸怩」がどのような場面で使われていたのかを見ていきます。

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「忸怩」は古い中国でどのように使われていた?

『書経』では、「忸怩」が心の中で恥じることを表す言葉として使われていました。

しかし、中国の古い文献をさらに見ていくと、「忸怩」は内面の恥だけでなく、恥ずかしさや気まずさから身を引くような様子を表す場合もあったことがわかります。

その代表的な用例が、中国の歴史書『後漢書』に残されています。

『後漢書』には「忸怩而避」とある

『後漢書』の蔡邕伝には、次の一節があります。

「公子仰首降階、忸怩而避。」

この「忸怩而避」の「避」は、避ける、身を引くという意味です。

台湾教育部の『重編國語辭典修訂本』も、この文章を「忸怩」の用例として挙げ、「慚愧して気まずい、あるいは大らかに振る舞えない様子」という意味で説明しています。

この文章では、「忸怩」が単に心の中にある感情としてではなく、恥ずかしさや気まずさが振る舞いにも現れている様子として使われていることがわかります。

「忸怩」は心の状態だけを表したわけではない

『書経』の古い注釈では、「忸怩」は「心慚」、つまり心の中で恥じることと説明されていました。

一方、『後漢書』の「忸怩而避」では、その恥ずかしさから身を避けるという動作につながっています。

整理すると、

古い用例「忸怩」の使われ方
『書経』「顏厚有忸怩」心の中で恥じること
『後漢書』「忸怩而避」恥ずかしさや気まずさが態度にも現れる様子

この二つを見るだけでも、「忸怩」が「恥」という内面の感情と、それによって生じる振る舞いの両方に関係して使われてきたことが見えてきます。

後世には「恥ずかしそうな様子」を表す用例もある

さらに時代が下ると、「忸怩」は恥ずかしそうにする様子や、気まずそうに振る舞う様子を表す言葉としても使われています。

中国・清代の小説『聊斎志異』には、

「士人忸怩、吃吃而言。」

という用例があります。

ここでは、ある人物が恥ずかしそうに、言葉につまりながら話す場面で「忸怩」が使われています。

つまり中国語の「忸怩」には、古くから現在まで一貫して「恥」に関係する意味がある一方、文脈によっては「恥じ入る」という内面的な感情だけでなく、恥ずかしそうにためらう様子や、ぎこちない態度を表すこともあったのです。

現在の日本語では「深く恥じる」という意味が中心

現在の日本語で「忸怩」という場合は、

「自分の行いを深く恥じる」

という意味が中心です。

特に「忸怩たる思い」という形では、自分の失敗や至らなさを振り返って恥じ入る気持ちを表します。

そのため、中国の古い用例に見られる「恥ずかしそうに身を引く」「気まずそうに振る舞う」といった意味を、そのまま現在の日本語の「忸怩たる思い」に当てはめることはできません。

しかし、時代や使われ方に違いがあっても、「恥」という感情が「忸怩」の意味の中心にあることは共通しています。

中国古典の実例をたどることで、「忸怩」が「悔しい」「もどかしい」という意味から生まれた言葉ではないことも、よりはっきり見えてきます。

では、この中国由来の「忸怩」は、日本ではいつごろから使われていたのでしょうか。

次の章では、日本に残る古い用例をたどっていきます。

「忸怩」は日本ではいつから使われている?

色葉字類抄に忸怩が確認される平安時代末期をイメージした学問所

日本では、平安時代末期の古辞書『色葉字類抄』に「忸怩」が確認されています。

中国の古い文献に見られる「忸怩」は、日本にも古くから伝わっていました。

日本でどこまでさかのぼれるのかを調べると、平安時代末期に成立した古辞書『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』に「忸怩」が確認されています。

そのため、「忸怩」は近代になって中国から入ってきた新しい漢語ではなく、日本でも長い歴史を持つ言葉だとわかります。

『色葉字類抄』に「忸怩」が見える

『色葉字類抄』は、平安時代末期に成立したとされる日本の古い辞書です。

『日本国語大辞典』では、「忸怩」の文献例として、

「〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

を挙げています。

つまり、日本では少なくとも12世紀後半の辞書資料に「忸怩」という言葉が確認できることになります。

これは「忸怩」が日本語の中で使われてきた歴史を考えるうえで重要な資料です。

古辞書に載っていることは何を意味する?

ここで注意したいのは、『色葉字類抄』に載っていることと、「1177~1181年に日本で初めて忸怩という言葉が使われた」ということは同じではない点です。

辞書に収録される以前から知られていた可能性もあります。

したがって、

「忸怩は12世紀に日本で生まれた」

あるいは、

「1177年に初めて使われた」

と断定することはできません。

資料から確実に言えるのは、平安時代末期には日本の辞書に収録される言葉になっていたということです。

中国から伝わった「恥じる」という意味も日本に定着した

中国古典では、「忸怩」が心に恥じることを表す例を確認できました。

日本でも「忸怩」は、自分の行いなどについて自分で恥ずかしく思うことを表す言葉として定着していきます。

現在の辞書でも、

「自分の行ないなどについて、自分で恥ずかしく思うさま」

という意味で説明されています。

つまり、

中国古典に見える「忸怩」

日本へ伝わる

平安時代末期の『色葉字類抄』に確認できる

後世の日本語でも「自分を恥じる」という意味で使われる

という大きな流れを見ることができます。

現在まで意味の中心に「恥」が残っている

興味深いのは、非常に長い時間を経ても、「忸怩」の中心に「恥」という意味が残っていることです。

古い中国の『書経』では「心慚」、つまり心に恥じることと解釈され、日本でも「自分の行いを恥ずかしく思う」という意味で使われています。

現在の、

「責任を果たせなかったことに忸怩たる思いです。」

という表現にも、この意味が受け継がれています。

「忸怩たる思い」の「恥じ入る」という意味は、長い言葉の歴史の中で受け継がれてきたものと考えると、その本来の意味も覚えやすくなるでしょう。

では、日本で「忸怩」は実際の文章の中でどのように使われてきたのでしょうか。

次の章では時代を近代まで進め、明治・大正期の文学作品に残された「忸怩」の実例を見ていきます。

明治・大正期の文章に見る「忸怩」の使い方

森鷗外の時代に忸怩が使われていたことをイメージした古い診察室

明治・大正期の文学作品にも「忸怩」の実際の使用例が残されています。

平安時代末期の辞書資料にも確認できる「忸怩」は、近代になると実際の文学作品の中にも登場します。

明治・大正期の用例を見ると、「忸怩」が単に古い辞書の中に残っていた言葉ではなく、文章表現として使われ続けていたことがわかります。

ここでは、東海散士『佳人之奇遇』と森鷗外『カズイスチカ』の実例を見てみましょう。

東海散士『佳人之奇遇』では「忸怩する」と使われている

明治時代の政治小説として知られる東海散士『佳人之奇遇』には、「忸怩」を使った次の表現があります。

「吾人、実に忸怩するに堪えざるなり」

現在の日本語ではあまり見かけない「忸怩する」という使い方です。

「忸怩」は名詞として「深く恥じ入ること」を表し、「忸怩する」で深く恥じるという意味になります。

現在よく使われる「忸怩たる思い」と形は異なりますが、ここでも自らを恥じるという意味が中心にあることがわかります。

森鷗外『カズイスチカ』には「忸怩たるもの」とある

さらに時代を下ると、森鷗外が1911年に発表した『カズイスチカ』にも「忸怩」が登場します。

作品中では、

「佐藤は黙って聴診してしまって、忸怩たるものがあった。」

と書かれています。

この場面では、医師の佐藤が患者を診察しますが、判断を誤っていたことに気づきます。

そこで使われているのが「忸怩たるものがあった」という表現です。

つまり、単に「残念だった」「思い通りにならなかった」ということではありません。

自分の判断や対応を振り返り、恥じる気持ちを表していると理解できます。

「忸怩する」から「忸怩たるもの」まで使い方は一つではない

二つの近代文学の用例を並べると、「忸怩」がさまざまな形で使われていたことがわかります。

作品年代用例
東海散士『佳人之奇遇』1885~1897年刊忸怩するに堪えざる
森鷗外『カズイスチカ』1911年忸怩たるものがあった

現在では「忸怩たる思い」という形をよく目にしますが、「忸怩」という語そのものは「忸怩する」「忸怩として」「忸怩たるもの」など、さまざまな形で使うことができます。

この点は、「忸怩たる思い」という一つの決まった慣用句が古代からそのまま存在していた、と考えないためにも重要です。

近代の用例でも「恥じる」という意味は変わっていない

ここまで時代をさかのぼってきた流れを整理すると、興味深い共通点が見えてきます。

中国古典『書経』では、「忸怩」は古い注釈で「心慚」、つまり心に恥じることと説明されていました。

日本では平安時代末期の『色葉字類抄』に「忸怩」が確認でき、さらに明治・大正期の文学作品にも実際の用例が残っています。

そして近代の文章でも、意味の中心にあるのは「自分を恥じること」です。

したがって、現在よく耳にする「忸怩たる思い」を「悔しくてもどかしい思い」と理解するよりも、「自分の行いや態度を深く恥じる思い」と考えるほうが、古い用例から続く意味にも合っています。

では、現在よく使われる「忸怩たる思い」という形は、「忸怩」という言葉とどのようにつながっているのでしょうか。

次の章では、「忸怩する」「忸怩として」「忸怩たるもの」などの表現と比べながら、「忸怩たる思い」という現在の使い方を見ていきます。

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「忸怩たる思い」という表現はどのように使われるようになった?

現在、「忸怩」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、「忸怩たる思い」という表現でしょう。

しかし、ここまで見てきた古い用例では、必ずしも「忸怩たる思い」という形だけで使われていたわけではありません。

「忸怩」という語そのものが古くから存在し、時代や文章によって「忸怩する」「忸怩として」「忸怩たるもの」など、さまざまな形で使われてきました。

「忸怩たる」の「たる」はどんな意味?

「忸怩たる」の「たる」は、文語の形容動詞「たり」の連体形です。

現在の言葉で考えれば、「~である」「~の状態にある」といった働きをしています。

同じような形は、

「堂々たる態度」

「確固たる信念」

「歴然たる事実」

などにも見られます。

したがって「忸怩たる思い」は、簡単にいえば「深く恥じ入っている思い」ということになります。

「忸怩として」という使い方もある

「忸怩」は「忸怩たる」だけでなく、「忸怩として」という形でも使われます。

たとえば、

「自らの非礼を忸怩として謝する。」

というような使い方です。

「忸怩として」は、深く恥じ入っている様子を表します。

現在では「忸怩たる思い」のほうを目にする機会が多いものの、「忸怩たる思い」だけが「忸怩」の唯一の使い方ではありません。

近代には「忸怩たるもの」という表現も確認できる

前の章で紹介した森鷗外『カズイスチカ』では、

「忸怩たるものがあった。」

という表現が使われています。

ここでは「思い」ではなく、「もの」が後ろに続いています。

また、東海散士『佳人之奇遇』では、

「忸怩するに堪えざる」

という形が確認できます。

つまり、日本語では「忸怩」が、

使い方
忸怩する深く恥じる
忸怩として深く恥じ入っている様子を表す
忸怩たるもの心の中にある恥じ入る気持ちを表す
忸怩たる思い自分の行いや態度を深く恥じる気持ちを表す

というように、いくつかの形で使うことができます。

現在の「忸怩たる思い」を別の言葉で表す場合や、「慚愧に堪えない」「自責の念」との違いについては、こちらで詳しく解説しています。
「忸怩たる思い」の言い換え・類語は?「慚愧に堪えない」との違いも解説

「忸怩たる思い」だけが古くから固定されていたわけではない

ここは、「忸怩」の歴史を考えるうえで大切な点です。

中国古典『書経』には「顏厚有忸怩」とありますが、「忸怩たる思い」という日本語の形が書かれているわけではありません。

日本でも近代には「忸怩する」「忸怩たるもの」といった用例があります。

そのため、

「古代中国で『忸怩たる思い』という表現が生まれ、それがそのまま日本へ伝わった」

と考えるのは正確ではありません。

古くから存在した「忸怩」という漢語が日本語の中でも使われ、そこから「忸怩たる思い」という表現も用いられるようになったと捉えるのが自然です。

そして現在の辞書でも、「忸怩」は「深く恥じ入ること・深く恥じ入るさま」とされ、「忸怩として非礼を謝す」「内心忸怩たる思い」といった用例が示されています。

形は時代や文章によって変わっても、その中心にある「自分を深く恥じる」という意味は受け継がれているのです。

次の章では、中国古典から現在の「忸怩たる思い」まで、この記事でたどってきた語源と意味の歴史をまとめます。

「忸怩」の語源・由来まとめ

「忸怩(じくじ)」は、現在では「忸怩たる思い」という形でよく使われ、自分の行いや態度について深く恥じ入る気持ちを表します。

その歴史をたどると、日本で近代になって作られた言葉ではなく、中国の古い文献にまでさかのぼる漢語であることがわかります。

この記事で見てきた「忸怩」の歴史を整理すると、次のようになります。

時代・資料「忸怩」の用例・特徴
中国古典『書経』「顏厚有忸怩」とあり、古い注釈では「忸怩、心慚」と説明される
中国『後漢書』「忸怩而避」とあり、恥ずかしさや気まずさが態度に現れる様子にも使われる
日本『色葉字類抄』12世紀後半の日本の古辞書資料に「忸怩」が確認できる
明治期『佳人之奇遇』「忸怩する」という形の用例が見られる
森鷗外『カズイスチカ』「忸怩たるものがあった」という表現が見られる
現在「忸怩たる思い」などの形で、自分の行いや態度を深く恥じる意味で使われる

「忸」と「怩」はどちらも心の動きに関係する漢字ですが、「忸」には「慣れる」という別の意味もあります。

そのため、単純に「恥じる意味の漢字を二つ重ねた言葉」とだけ説明するより、実際の古い用例を見ることが重要です。

特に『書経』の「顏厚有忸怩」と、その注釈にある「忸怩、心慚」は、「忸怩」の意味を理解する大きな手掛かりになります。

古くから「心に恥じる」という意味で理解されていたことが、ここから確認できます。

また、日本でも平安時代末期の『色葉字類抄』に確認でき、近代文学では「忸怩する」「忸怩たるもの」といった使い方が見られます。

現在よく使われる「忸怩たる思い」は、こうした長い言葉の歴史の延長にある表現と考えることができます。

そして最も覚えておきたいのは、「忸怩」の意味の中心にあるのは「悔しい」「もどかしい」ではなく「自分を恥じること」だという点です。

「忸怩たる思い」を「残念でもどかしい思い」という意味で捉えることがありますが、本来の意味とは異なります。

「忸怩」という言葉が歩んできた歴史を知れば、

「自分の至らなさに忸怩たる思いを抱く。」

という表現が、なぜ「深く恥じ入る」という意味になるのかも理解しやすくなるでしょう。

※記事内の人物画像はAIで生成したイメージです。実在の人物とは関係ありません。

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