「たかをくくる」の意味は?『羅生門』での使われ方を解説

芥川龍之介の『羅生門』を読んでいて、「たかをくくる」とはどういう意味なのだろう、と気になった方もいるのではないでしょうか。
「たかをくくる」は漢字で「高を括る」と書き、一般には「この程度だろうと予測する」「大したことはないと軽く見る」という意味で使われます。
では、『羅生門』の中では、誰が何を「たかをくくって」いるのでしょうか。
この記事では、『羅生門』における「たかをくくる」の意味と使われ方を、前後の場面や登場人物の心理とあわせてわかりやすく解説します。
『羅生門』の「たかをくくる」とは?意味を簡単に解説
『羅生門』に出てくる「たかをくくる」は、簡単にいえば「この程度だろうと見当をつける」「大したことはないだろうと考える」という意味です。
「たかをくくる」は漢字では「高を括る」と書きます。
現在でも、
「簡単な仕事だとたかをくくっていた。」
「相手は弱いだろうとたかをくくっていた。」
などのように使われます。
ただし、「たかをくくる」は単純に「予想する」というだけの言葉ではありません。
相手や物事について「おそらくこの程度だろう」と見積もるニュアンスを持っています。
そのため、『羅生門』を読むときも「たかをくくる=見くびる」と機械的に置き換えるのではなく、前後の場面から「何について、どの程度だろうと判断しているのか」を考えることが大切です。

『羅生門』では、下人が楼の上にいる者を「死人ばかりだろう」と見当をつけていました。
「たかをくくる」を簡単な言葉にすると?
「たかをくくる」を簡単な言葉に言い換えるなら、
・この程度だろうと思う
・大したことはないだろうと思う
・これくらいだろうと見当をつける
・相手や物事を軽く見る
などが近い表現です。
ただし、どの言葉に置き換えるのが自然なのかは、使われている場面によって少し変わります。
『羅生門』の場合も、前後の文章と登場人物の置かれた状況を一緒に読むことで、「たかをくくる」が表している意味がよりわかりやすくなります。
では、『羅生門』のどのような場面で「たかをくくる」が使われているのでしょうか。
次に、前後の状況を確認してみましょう。
『羅生門』に限らず、「たかをくくる」という言葉の基本的な意味や使い方についてはこちらで詳しく解説しています。
たかをくくるとは?意味を簡単にわかりやすく解説!使い方も紹介
『羅生門』で「たかをくくる」が出てくる場面
『羅生門』で「たかをくくる」が使われるのは、下人が羅生門の楼の上へ向かう場面です。
雨を避けながら夜を明かせる場所を探していた下人は、羅生門の上へ続く梯子を見つけます。
楼の上に人がいたとしても、そこにいるのは死人くらいだろうと考えて、梯子を上り始めました。
ところが、途中まで上った下人は、楼の上で誰かが火をともしているらしいことに気づきます。
本文では、この場面で、
「下人は、始めから、この上にゐる者は、死人ばかりだと高を括つてゐた。」
と書かれています。
つまり下人は、「楼の上にいるのは死人だけだろう」と見当をつけていたのです。
しかし、その予想とは違って、楼の上では火がともされ、しかもその火が動いていました。
死人が火を動かすことはありません。
そこで下人は、「誰か生きている者がいる」と気づくことになります。
下人は「死人ばかり」だと思っていた
この場面で大切なのは、下人が最初から楼の上に誰かいると考えていたわけではないことです。
当時の羅生門の楼の上には、引き取り手のない死骸が捨てられていました。
そのため下人は、
「上に何かいるとしても、どうせ死人だけだろう」
と考えていたわけです。
ここで使われている「高を括る」には、自分なりに「この程度だろう」と見当をつける意味がよく表れています。

死人しかいないと思っていた楼の上で火が動いていたことから、下人は自分の予想とは違う状況に気づきます。
予想と違って「火」が動いていた
ところが、梯子を二、三段上ったところで状況が変わります。
上から見える黄色い火の光が、天井裏に揺れながら映っていたのです。
下人にとっては、
「死人しかいないはずだった」
↓
「ところが火が動いている」
↓
「生きている誰かがいるらしい」
という予想外の展開です。
この下人の予想と実際の状況との食い違いを表すために、「高を括っていた」という言葉が使われています。
このあと下人は、楼の上にいる人物の正体を確かめようと、息を殺しながら慎重に様子をうかがいます。
誰が何を「たかをくくって」いたのか
『羅生門』で「たかをくくっていた」のは、物語の主人公である下人です。
では、下人は何を「たかをくくって」いたのでしょうか。
下人が見積もっていたのは、羅生門の楼の上にいる者についてです。
下人は楼へ上る前、そこにいる者は死人ばかりだろうと考えていました。
つまり、この場面を簡単に整理すると、
| 誰が | 下人が |
|---|---|
| 何について | 羅生門の楼の上にいる者について |
| どう考えたか | 死人ばかりだろうと見当をつけていた |
| 実際には | 火をともしている生きた人間がいた |
となります。
「死人を見くびっていた」という意味ではない
ここで注意したいのが、「たかをくくる=見くびる」とだけ覚えてしまうことです。
現在の「たかをくくる」には、相手を軽く見るという意味もあります。
しかし『羅生門』のこの場面では、下人が「死人を見くびっていた」という意味ではありません。
「楼の上にいる者は、死人ばかりだろう」と自分なりに見当をつけていたと考えるとわかりやすくなります。
その予想に反して火が動いていたため、下人は楼の上に生きた人間がいることを知ります。
簡単に言い換えると「そうだろうと見当をつけていた」
『羅生門』の文脈に合わせて「たかをくくっていた」を簡単に言い換えるなら、
「そうだろうと見当をつけていた」
「その程度だろうと思っていた」
「死人しかいないだろうと思っていた」
などがわかりやすいでしょう。
特にこの場面では、「死人しかいないだろうと思っていた」と置き換えると、文章の意味をつかみやすくなります。
そして、この予想が外れたことで下人の警戒心が強まり、楼の上にいる人物を確かめようとする行動へつながっていきます。
「たかをくくる」からわかる登場人物の心理
『羅生門』の「たかをくくる」という表現からは、下人が楼の上について、ある程度自分なりの予想を立てていたことがわかります。
下人は、楼の上にいる者は死人ばかりだろうと考えていました。
ところが、実際には火が動いています。
つまり、
「死人しかいないだろう」
↓
「火が動いている」
↓
「生きた人間がいるのではないか」
と、下人の認識が変化したのです。
自分が予想していた状況とは違う何かが起きている。
この気づきが、下人の心理を大きく動かします。
下人の「恐怖」が強くなっていく
死人しかいないと思っていた場所に、誰か生きた人間がいるらしい。
しかも、夜の羅生門の楼の上です。
下人にとって、それが誰なのか、何をしているのかはまだわかりません。
そのため、予想が外れたことによって、正体のわからない相手に対する不安や恐怖が生まれます。
下人は物音を立てないようにしながら、楼の上の様子を確かめようとします。
「たかをくくっていた」という表現は、こうした心理の変化が始まるきっかけにもなっています。

予想が外れたことで、下人には恐怖だけでなく「何が起きているのか確かめたい」という気持ちも生まれていきます。
恐怖はやがて「好奇心」へ変化する
下人が感じるのは恐怖だけではありません。
「こんな雨の夜に、羅生門の上で火をともして何をしているのだろう」
という疑問も生まれます。
相手が何者なのか、そして何をしているのか。
それを知りたいという気持ちが強くなり、下人はさらに楼の上の様子をうかがいます。
「死人だけだろう」という予想が外れたことで、恐怖と同時に好奇心も生まれたと考えると、この場面の下人の心理を理解しやすくなります。
「たかをくくる」が場面を動かすきっかけになっている
もし楼の上に本当に死人しかいなければ、下人がこれほど強く警戒する必要はなかったでしょう。
しかし、「死人ばかりだろう」という予想は外れました。
その結果、下人は楼の上にいる人物へ関心を向け、その正体を確かめようとします。
ここから、物語の重要人物である老婆との場面へ進んでいきます。
このように『羅生門』の「たかをくくる」は、単に言葉の意味を理解するだけでなく、下人の予想が外れ、心理と行動が変化していく場面を読み取る手がかりにもなっています。
『羅生門』の「たかをくくる」を言い換えると?
『羅生門』に出てくる「たかをくくる」は、現代のわかりやすい言葉に置き換えると意味を理解しやすくなります。
一般的な「たかをくくる」には、「大したことはないと思う」「軽く見る」といった意味もあります。
しかし、『羅生門』の場面では、単純に「見くびる」と言い換えるよりも、
「この程度だろうと見当をつける」
と考えるのがわかりやすいでしょう。
『羅生門』の文脈に合う言い換え
「たかをくくる」の主な言い換えを、『羅生門』の場面に当てはめると次のようになります。
| 言い換え | 『羅生門』での当てはめ方 |
|---|---|
| 見当をつける | 楼の上にいるのは死人だけだろうと見当をつける |
| そうだろうと思う | 楼の上には死人しかいないだろうと思う |
| この程度だろうと考える | 楼の上の状況を自分なりにこの程度だろうと考える |
| 軽く見る | 状況をそれほど問題ではないものとして考える |
この中でも、『羅生門』の場面を簡単に理解するなら、
「楼の上にいるのは死人だけだろうと思っていた」
と置き換えるのが最もわかりやすいでしょう。
「見くびる」だけでは意味が伝わりにくい
「たかをくくる」の類似表現として「見くびる」があります。
ただし、
「下人は死人を見くびっていた」
と置き換えてしまうと、『羅生門』のこの場面が持つ意味とは少し違って聞こえます。
ここで下人がしているのは、死人の能力や価値を低く評価することではありません。
楼の上にいる者について「死人ばかりだろう」と判断していたのです。
そのため、『羅生門』の「たかをくくる」を理解するときは、「見くびる」と丸暗記するのではなく、前後の文章に合わせて意味を考えることが大切です。
一言で答えるなら「見当をつける」
学校の授業などで、
「『たかをくくる』とは、この場面ではどのような意味ですか」
と問われた場合には、
「この程度だろうと見当をつけること」
と考えるとよいでしょう。
さらに『羅生門』の場面に即して答えるなら、
「楼の上にいるのは死人だけだろうと見当をつけていたこと」
とすれば、誰が何について判断していたのかまで明確になります。
「たかをくくる」の漢字と一般的な意味
「たかをくくる」は、漢字では「高を括る」と書きます。
「鷹を括る」ではありません。
また、「多い・少ない」を表す「多寡(たか)」を使った「多寡を括る」でもありません。
一般的な「高を括る」には、
・その程度だろうと見当をつける
・大したことはないだろうと考える
・相手や物事を軽く見る
といった意味があります。
たとえば、
「簡単な試験だと高を括っていた。」
「相手は初心者だからと高を括ってはいけない。」
などのように使います。
『羅生門』でも「高を括る」と書く
『羅生門』に出てくる「たかをくくる」も、漢字では「高を括る」です。
この「高」には、数量や程度などを表す意味があります。
「高を括る」という言葉では、物事について「このくらいだろう」と見積もる意味につながっています。
『羅生門』では、下人が楼の上にいる者について「死人ばかりだろう」と見当をつけていました。
そのため、この場面では「相手を見下す」というより、「この程度だろうと自分なりに判断していた」と理解するとわかりやすいでしょう。
「高を括る」の「高」がなぜ使われるのか、「鷹を括る」「多寡を括る」とはどう違うのかについては、関連記事で詳しく解説しています。
「高を括る」の「高」が表す意味や、「鷹を括る」「多寡を括る」との違いについてはこちらで詳しく解説しています。
『羅生門』の「たかをくくる」についてまとめ
『羅生門』に出てくる「たかをくくる」は、漢字では「高を括る」と書き、「この程度だろうと見当をつける」という意味で理解するとわかりやすい表現です。
この記事のポイントをまとめます。
・「たかをくくる」は漢字で「高を括る」と書く
・『羅生門』で高を括っていたのは下人
・下人は楼の上にいる者を「死人ばかりだろう」と考えていた
・ところが実際には火が動いており、生きた人間がいることに気づく
・この場面では「見くびる」より「見当をつける」と考えるとわかりやすい
・予想が外れたことで、下人の心理や行動にも変化が生まれる
『羅生門』の文脈に合わせて簡単に言い換えるなら、
「楼の上にいるのは死人だけだろうと思っていた」
ということです。
「たかをくくる」を単に「見くびる」と覚えるだけでは、この場面の意味を十分につかめないことがあります。
誰が、何について「この程度だろう」と判断していたのかまで確認すると、『羅生門』の文章がぐっと理解しやすくなります。
「高を括る」という言葉そのものの意味や使い方については関連記事で、漢字や語源、例文についてもそれぞれ詳しく解説しています。
※記事内の人物画像はAIで生成したイメージです。実在の人物とは関係ありません。
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関連記事
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