徳川家康の墓はどこ?日光と久能山どっち?遺骨の謎と違いを解説

徳川家康の墓はどこにあるのでしょうか。
日光東照宮が有名ですが、実は静岡県の久能山東照宮にも家康の墓所があります。
では、本当のお墓は日光と久能山のどっちなのでしょうか。
家康は1616年に亡くなり、遺言に従って久能山に埋葬されました。その翌年、日光にも家康を祀る東照宮が造営されます。
ところが、遺骨が日光へ移されたのかについては、現在も議論があります。
この記事では、二つの墓所の違いや日光に祀られた理由、遺骨の謎を史実に基づいてわかりやすく解説します。
徳川家康の墓はどこ?日光と久能山のどっち?
徳川家康の墓はどこにあるのでしょうか。
日光東照宮を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実は静岡県の久能山東照宮にも家康の墓所があります。
結論からいうと、家康が亡くなった直後に埋葬された場所は久能山です。
一方、日光東照宮にも家康の墓所とされる奥宮(奥社)があり、現在まで大切に守られています。
つまり、日光と久能山のどちらか一方だけが家康と関係する墓所なのではありません。
ただし、遺骨が現在どちらに納められているのかについては、史料の記述や解釈を慎重に考える必要があります。
徳川家康が最初に埋葬されたのは久能山東照宮
徳川家康は1616年(元和2年)4月17日、駿府城で75歳の生涯を閉じました。
家康は生前、自分の死後について、遺体を駿河国の久能山に葬るよう言い残していました。
その遺言に従って、家康の遺体は現在の静岡県静岡市にある久能山へ運ばれ、埋葬されたのです。
久能山には家康を祀る社殿が建てられ、久能山東照宮として現在まで受け継がれています。
久能山が家康の最初の埋葬地であることは、公式資料でも確認できます。
日光東照宮にも家康の墓所がある
では、なぜ栃木県の日光東照宮にも家康のお墓があるのでしょうか。
実は家康は、久能山への埋葬だけでなく、一周忌を過ぎた後に日光山へ自分を祀るよう遺言していました。
この遺言に基づき、1617年(元和3年)、日光に家康を祀る東照社が創建されます。
現在の日光東照宮には、本殿などの社殿のほか、家康の墓所として知られる奥宮(奥社)があります。
日光市の文化財解説でも、奥社宝塔は家康の遺骸が葬られている場所として紹介されています。
その一方で、久能山東照宮も家康が埋葬された場所として伝えられており、二つの墓所の関係には興味深い歴史があるのです。
それでは、まず家康が最初の埋葬地として久能山を選んだ理由から見ていきましょう。
徳川家康の墓が久能山東照宮にある理由
徳川家康が最初に埋葬された場所は、静岡県静岡市にある久能山(くのうざん)です。
では、なぜ家康は江戸でも生まれ故郷の三河でもなく、久能山を埋葬地に選んだのでしょうか。
その答えを考えるうえで重要なのが、家康自身の遺言と、晩年を過ごした駿府との関係です。
家康は遺言で久能山への埋葬を希望した
家康は亡くなる前に、自分の死後の葬送について家臣たちに指示を残していました。
その内容は、遺体を久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河の大樹寺に位牌を納め、一周忌の後には日光山に小堂を建てて祀るというものです。
この遺言は、家康の側近だった金地院崇伝の『本光国師日記』に記録されています。
1616年(元和2年)4月17日、家康は駿府城で亡くなりました。
そして遺言に従い、遺体は久能山に埋葬されたのです。
久能山への埋葬は、家康本人の意思に基づくものだったという点が重要です。
久能山は晩年の家康が暮らした駿府に近かった
家康にとって、駿府は特別な土地でした。
幼い頃には今川氏のもとで人質として暮らし、戦国大名として勢力を広げた時期にも駿府を拠点としています。
さらに1605年、家康は将軍職を息子の秀忠に譲り、1607年には駿府城へ移りました。
将軍の座を退いた後も、大御所として政治に大きな影響力を持ち続けたのです。
久能山は、その駿府からほど近い場所にあります。
しかも久能山には、かつて武田氏が築いた城があり、家康もその地形の重要性を認識していたと伝えられています。
久能山東照宮の公式資料には、家康が久能山を「駿府城の本丸」と考えていたという伝承も紹介されています。
ただし、駿府に近いことや軍事上の重要性が、埋葬地を選んだ直接の理由だったと断定できるわけではありません。
長年ゆかりのあった土地であり、家康自身が重視していた場所だったことが、その背景として考えられます。

家康が晩年を過ごした駿府に近い久能山。駿河湾を望む土地の歴史を感じさせる風景です。※イメージ画像
久能山東照宮の神廟は家康が埋葬された場所
家康の死後、二代将軍・徳川秀忠の命によって久能山に東照社が造営されました。
現在の久能山東照宮には、家康の墓所として伝えられる「神廟(しんびょう)」があります。
神廟は本殿の後方に位置し、廟門から石段を登った先に建てられています。
創建当初は木造の建物でしたが、1640年(寛永17年)、三代将軍・徳川家光によって現在の石造宝塔に造り替えられました。
また、神廟は家康の遺命によって西向きに建てられたと伝えられています。
その西方には、家康の生まれ故郷である岡崎や、松平家の菩提寺・大樹寺などがあります。
久能山東照宮の神廟は、家康の最初の埋葬地を伝える重要な史跡なのです。
ところが、家康の死から約1年後、日光にも家康を祀る東照社が造営されました。
次の章では、なぜ日光にも墓所が設けられたのか、その歴史を見ていきましょう。
日光東照宮にも徳川家康の墓があるのはなぜ?
徳川家康は久能山に埋葬されましたが、その翌年には日光にも家康を祀る東照社が建てられました。
なぜ、最初の埋葬地とは離れた日光に、もう一つの墓所があるのでしょうか。
その理由を知るには、家康の遺言と、死後に進められた日光への遷座を理解する必要があります。
家康は一周忌の後に日光で祀るよう遺言していた
家康は生前、遺体を久能山に葬ることに加え、一周忌の後には日光山に小堂を建てて祀るよう言い残していました。
日光は古くから山岳信仰の霊場として知られ、寺院や神社が集まる重要な場所でした。
家康を日光に祀ることには、徳川家の祖を神として崇敬し、江戸幕府を守護する存在と位置づける意味がありました。
日光東照宮は、単に家康の墓を設けるためだけではなく、家康を「東照大権現」という神として祀る場所として創建されたのです。
1617年に久能山から日光へ霊柩が移された
家康が亡くなった翌年の1617年(元和3年)、日光への遷座が進められました。
日光市の歴史年表によると、同年3月15日に家康の霊柩が久能山を出発し、4月4日に日光山への遷座が行われています。
さらに4月17日には、家康の一周忌にあわせて日光東照社の祭礼が営まれました。
このように、家康の死後、久能山から日光へ霊柩が移されたことは、公的な歴史資料にも記されています。
ただし、霊柩の移動が記録されていることと、現在の墓所の内部に何が納められているかを直接確認できることは別の問題です。
遺骨の所在については、後の章で詳しく取り上げます。

1617年、家康の霊柩は久能山から日光へ移されました。※行列の様子は歴史再現イメージ
日光東照宮の奥宮には家康の墓所がある
日光東照宮の境内奥には、家康の墓所として知られる「奥宮(奥社)」があります。
その中心となるのが、家康の神柩を納める場所として伝えられる「奥社宝塔」です。
日光市の文化財解説では、宝塔の下に家康の遺骸が葬られていると説明されています。
日光への遷座が行われたのは1617年(元和3年)ですが、奥社宝塔が木造で造られたのは1622年(元和8年)です。
その後、1641年(寛永18年)に石造へ改められ、地震による倒壊を経て、1683年(天和3年)に現在の銅製宝塔へと造り替えられました。
現在見られる奥社宝塔は家康が亡くなった当時の建物ではありませんが、日光東照宮の墓所として長く守られてきたものです。
つまり、現在の宝塔は家康が亡くなった当時の建物ではありませんが、墓所としての場所は江戸時代初期から大切に守られてきたのです。
なお、日光東照宮の華やかな社殿の多くは、三代将軍・徳川家光によって1636年に大規模な造営が行われたものです。
家康の死後も、徳川将軍家が日光東照宮を特別な場所として重視していたことがわかります。
では、日光に霊柩が移されたということは、家康の遺骨も久能山から完全に移されたのでしょうか。
次の章では、二つの墓所をめぐる最も気になる疑問を詳しく見ていきましょう。
徳川家康の遺骨はどこ?日光に移されたのか
徳川家康の墓について、特に気になるのが「遺骨は日光と久能山のどちらにあるのか」という疑問です。
家康が最初に久能山へ埋葬されたことはわかっています。しかし、その翌年には日光へ霊柩が移されました。
史料上は日光への移送が確認できますが、現在の遺骨の状態まで直接確認されているわけではありません。
ここでは、歴史資料に記録されていることと、確認できないことを分けて見ていきましょう。
1617年に家康の霊柩が久能山から日光へ運ばれた
家康が亡くなったのは1616年(元和2年)4月17日です。
遺言に従って久能山に埋葬されましたが、翌1617年には日光への移送が行われました。
日光市の歴史年表には、1617年3月15日に家康の霊柩が久能山を出発し、4月4日に日光山へ遷座したと記録されています。
また、江戸東京博物館の調査資料では、霊柩が三島、小田原、府中、佐野、鹿沼などを経由して日光へ向かった道筋も紹介されています。
このように、家康の霊柩が久能山から日光へ移されたことには、歴史的な記録があります。
ただし、「霊柩が移された」という記録だけで、棺の内部の状態や遺骨の詳細まで判明するわけではありません。
日光東照宮の奥社宝塔には家康の神柩が納められていると伝わる
日光東照宮の境内奥には、家康の墓所である奥社宝塔があります。
日光市の文化財解説では、この宝塔の下に家康の遺骸が葬られていると説明されています。
また、日光市観光協会の公式案内では、奥社宝塔には家康の神柩が納められていると紹介されています。
神柩(しんきゅう)とは、神として祀られる人物の遺体などを納める棺を指す言葉です。
日光東照宮の奥社宝塔は、家康の墓所として江戸時代から大切に守られてきました。
こうした記録や公式の説明から、日光が家康の墓所として位置づけられてきたことがわかります。
久能山にも墓所が残るのはなぜ?遺骨の所在は断定できる?
一方、久能山東照宮の公式案内でも、神廟は家康の遺骸を埋葬した場所と説明されています。
つまり、久能山には最初の埋葬地としての歴史があり、日光には翌年の遷座を経て家康を祀る墓所があるのです。
ここで注意したいのは、二つの東照宮に墓所があるからといって、遺骨が二か所に分けられたと判断することはできない点です。
日光市観光協会の案内によると、日光の奥社宝塔は建立以来、一度も開けられていないとされています。
そのため、少なくとも今回確認した公的資料からは、宝塔内部の現在の状態や、遺骨の具体的な所在を直接検証した結果までは確認できません。
歴史資料では日光への霊柩の移送が確認され、日光東照宮の奥社宝塔は家康の墓所とされています。しかし、遺骨の現在の状態については慎重な説明が必要です。
「家康の遺骨は絶対に久能山にある」「日光には何も納められていない」といった断定は避けるべきでしょう。
それでは、日光東照宮と久能山東照宮では、墓所の形や歴史にどのような違いがあるのでしょうか。
次の章では、二つの墓所を比較表で整理します。
日光東照宮と久能山東照宮の墓の違いを比較
徳川家康の墓所として知られる日光東照宮と久能山東照宮。
どちらも家康を祀る重要な神社ですが、墓所が設けられた経緯や宝塔の形には違いがあります。
まずは、二つの墓所を比較表で確認してみましょう。
| 比較項目 | 久能山東照宮 | 日光東照宮 |
|---|---|---|
| 所在地 | 静岡県静岡市駿河区 | 栃木県日光市 |
| 家康との関係 | 1616年に最初に埋葬された場所 | 1617年に家康が遷座された場所 |
| 墓所の名称 | 神廟(廟所宝塔) | 奥宮・奥社宝塔 |
| 現在の宝塔 | 石造 | 銅製 |
| 宝塔の主な造替 | 1640年 | 1683年 |
| 歴史的な特徴 | 家康の遺言に従った最初の埋葬地 | 家康を東照大権現として祀る重要な霊廟 |
※宝塔の年代は、各神社の公式案内などに基づき、現在見られる宝塔への造替時期を示しています。
久能山は家康が最初に埋葬された場所、日光はその翌年に遷座が行われた場所という違いが、最も重要なポイントです。
久能山東照宮の墓は石造の神廟
久能山東照宮の神廟は、本殿の後方にある廟門から石段を登った先にあります。
神廟は、家康の遺骸が埋葬された場所として伝えられているものです。
創建当初は木造でしたが、1640年(寛永17年)に三代将軍・徳川家光によって石造の宝塔に造り替えられたと、久能山東照宮の公式案内に記されています。
現在の宝塔は高さ約5.5メートルで、家康の遺命により西向きに建てられたと伝わります。
華やかな社殿とは対照的に、神廟の周辺には石灯籠が並び、厳かな雰囲気が漂っています。
家康が実際に埋葬された場所を知りたい方にとって、久能山は特に重要な史跡といえるでしょう。
日光東照宮の墓は銅製の奥社宝塔
一方、日光東照宮の墓所は、境内の奥にある奥宮(奥社)に設けられています。
その中心にあるのが、家康の神柩を納める場所として伝えられる奥社宝塔です。
日光市の公式資料によると、宝塔は1622年(元和8年)に木造で建てられ、1641年(寛永18年)に石造へ改められました。
その後、地震による倒壊を経て、1683年(天和3年)に現在の銅製の宝塔に造り替えられています。
つまり、現在の日光の奥社宝塔は、家康の死後60年以上が経過してから造られたものです。
日光東照宮の奥宮は、豪華な陽明門などがある区域とは異なり、静かな森に囲まれた場所にあります。
ここもまた、家康の墓所として長く守られてきた場所なのです。
徳川家康の墓はいくつある?どちらが本当の墓なのか
では、徳川家康の墓は二つあると考えてよいのでしょうか。
久能山東照宮には最初の埋葬地としての神廟があり、日光東照宮にも家康の墓所とされる奥社宝塔があります。
その意味では、家康の墓所として知られる場所は、久能山と日光の二か所にあると説明できます。
ただし、これは遺骨が二つに分けられているという意味ではありません。
1617年には久能山から日光への霊柩の移送が記録されており、日光の奥社宝塔には家康の神柩が納められていると伝えられています。
その一方で、久能山も家康の最初の埋葬地として大切に守られてきました。
したがって、どちらか一方を「本物」、もう一方を「偽物」と考えるのは適切ではないでしょう。
二つの墓所は、家康の遺言と死後の祭祀の歴史を、それぞれ異なる形で伝えているのです。
では、実際に徳川家康の墓を訪れる場合、どちらも見学できるのでしょうか。
次の章では、日光と久能山の墓所への行き方や参拝のポイントを紹介します。
徳川家康の墓は見学できる?場所と参拝のポイント
徳川家康の墓所として知られる日光東照宮と久能山東照宮は、どちらも参拝することができます。
ただし、墓所の内部に入ったり、宝塔の中を見学したりできるわけではありません。
参拝者が見られるのは、家康の墓所として大切に守られてきた宝塔や、その周囲の建造物です。
日光と久能山では、墓所までの道順や階段の数が大きく異なります。
実際に訪れる際に知っておきたいポイントを紹介します。
日光東照宮の墓は奥宮にある!207段の石段を登る
日光東照宮は、栃木県日光市山内にあります。
徳川家康の墓所である奥宮(奥社)は、陽明門などのある主要な社殿よりも奥に位置しています。
奥宮へ向かうには、有名な「眠り猫」の彫刻がある坂下門を通り、杉木立に囲まれた石段を登ります。
この石段は207段あり、登り切った先に奥宮の拝殿や奥社宝塔があります。
階段は自然の地形に沿って続いているため、足元に注意しながらゆっくり登るのがおすすめです。
特に雨の日や冬場は滑りやすくなることがあるため、歩きやすい靴で訪れると安心でしょう。
奥宮の宝塔は参拝できますが、内部を開けて見学することはできません。
日光東照宮を訪れた際は、陽明門や三猿などの有名な建造物だけでなく、家康の墓所である奥宮まで足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
所在地:栃木県日光市山内2301
拝観時間や料金は、日光東照宮公式サイトで確認できます。

日光東照宮の奥宮へは、杉林に囲まれた石段を登って向かいます。※イメージ画像
久能山東照宮の墓は本殿の奥!神廟への参拝方法
久能山東照宮は、静岡県静岡市駿河区根古屋にあります。
徳川家康が最初に埋葬された場所として知られる神廟は、本殿のさらに奥に位置しています。
本殿の後方にある廟門を通り、石段を登ると、家康の墓所である石造の宝塔が見えてきます。
久能山東照宮へ向かう方法は、大きく分けて二つあります。
- 日本平からロープウェイを利用して向かう方法
- 久能山のふもとから石段を登って向かう方法
ふもとから登る参道には1,159段の石段があり、体力に応じた計画が必要です。
一方、日本平ロープウェイを利用すれば、ふもとから長い石段を登らずに神社の近くまで行くことができます。
ただし、ロープウェイを利用した場合でも、境内には階段や段差があります。
久能山の神廟は、家康が最初に埋葬された場所として伝えられる貴重な史跡です。
静かな境内で、家康が晩年を過ごした駿府とのつながりを感じられる場所といえるでしょう。
所在地:静岡県静岡市駿河区根古屋390
参拝時間や料金は、久能山東照宮公式サイトで確認してください。
*なお、1,159段は山下の石鳥居から本殿前までの表参道の段数です。
家康の神廟へは、本殿後方の廟門からさらに約40段の石段を登ります。
日光と久能山のどちらを訪れる?参拝のポイント
日光東照宮と久能山東照宮は、どちらも徳川家康の歴史を知るうえで重要な場所です。
日光東照宮では、三代将軍・徳川家光によって大規模に造営された豪華な社殿と、森に囲まれた奥宮をあわせて見学できます。
一方、久能山東照宮では、家康が実際に埋葬された場所として伝えられる神廟や、国宝に指定された社殿を見ることができます。
どちらか一方だけを選ぶのであれば、華やかな江戸幕府の文化に触れたい方には日光、家康の最初の埋葬地を訪ねたい方には久能山という選び方もあるでしょう。
なお、どちらの神社も階段を利用する場所があるため、足腰に不安がある方は、参拝経路や設備について事前に確認しておくと安心です。
家康の墓所を訪れる際は、日光と久能山の歴史的な役割の違いを知っておくと、参拝がより興味深いものになります。
次の章では、家康の墓に関するそのほかの疑問を取り上げます。
徳川家康の墓にまつわる疑問を解説
徳川家康の墓を調べていると、日光や久能山以外にも、京都・高野山・増上寺・上野など、さまざまな地名が出てきます。
これだけ多くの場所が登場すると、いったいどこが本当のお墓なのか、迷ってしまいますよね。
ここでは、家康本人の墓所と、徳川家ゆかりの寺院や供養の場所との違いを整理します。
徳川家康の墓は京都にもある?
京都には、徳川家康を祀る東照宮や、家康にゆかりのある寺社があります。
例えば、京都市左京区の金地院には東照宮があり、家康が祀られています。
金地院は、家康の側近として活躍した金地院崇伝とも深い関係がある寺院です。
ただし、金地院東照宮は家康を神として祀る場所であり、家康本人の遺体が埋葬された墓所ではありません。
京都に家康ゆかりの寺社があることと、京都に家康の墓があることは区別して考える必要があります。
高野山にも徳川家康の墓があるの?
和歌山県の高野山には、「徳川家霊台(とくがわけれいだい)」と呼ばれる建造物があります。
徳川家霊台は、1643年(寛永20年)に三代将軍・徳川家光によって建立されたと伝えられ、家康と二代将軍・秀忠を祀る二つの霊屋が並んでいます。
高野山真言宗の公式案内でも、向かって右が家康の霊屋、左が秀忠の霊屋と説明されています。
ここは家康と秀忠を祀る霊廟であり、二人の遺体が埋葬された場所ではありません。
なお、徳川家霊台は国の重要文化財に指定されています。
増上寺や上野の寛永寺は家康の墓ではない?
増上寺は徳川家の菩提寺の一つで、家康自身も生前から深い関係を持っていました。
しかし、家康は遺体を久能山に葬り、葬儀は増上寺で行うよう遺言しています。
つまり、葬儀を営む場所と遺体を埋葬する場所を分けて指定していたのです。
東京都港区の増上寺と、台東区の寛永寺は、徳川将軍家の墓所として知られています。
増上寺には二代将軍・秀忠や六代将軍・家宣など、寛永寺には四代将軍・家綱や五代将軍・綱吉などの墓所があります。
しかし、初代将軍・徳川家康の墓所は、増上寺や寛永寺にはありません。
家康の遺言には、江戸の増上寺で葬儀を行うよう指示したことが記録されています。
そのため、増上寺は家康の葬送と関係の深い寺院ですが、実際に遺体が埋葬された場所とは異なるのです。
徳川将軍家の墓所を調べる際は、初代家康と、二代以降の将軍たちの埋葬地を分けて考えることが大切です。
徳川家康の墓は発掘・調査されたことがある?
家康の遺骨がどこにあるのかという疑問から、墓所の内部が調査されたことはあるのか、気になる方もいるでしょう。
日光東照宮の奥社宝塔については、建立以来、開けられていないと紹介されています。
また、久能山東照宮の神廟についても、今回確認した公式資料からは、遺骨の所在を直接確認した発掘調査の結果は見つかりません。
したがって、家康の遺骨について、現代の発掘調査で所在が確定したと説明することはできません。
歴史資料には久能山への埋葬と日光への遷座が記録されていますが、墓所内部の現在の状態については、確認できる情報に限界があります。
二つの東照宮に伝わる歴史を尊重しながら、史実として確認できることと、未確認のことを分けて理解するのがよいでしょう。
まとめ|徳川家康の墓は日光と久能山のどっち?
徳川家康の墓はどこにあるのか、日光東照宮と久能山東照宮の違いを中心に解説してきました。
今回のポイントを振り返ってみましょう。
- 家康が1616年に最初に埋葬された場所は、静岡県の久能山である。
- 家康の遺言に基づき、1617年に日光への遷座が行われた。
- 久能山東照宮には石造の神廟、日光東照宮には銅製の奥社宝塔がある。
- 日光への霊柩の移送は記録されているが、遺骨の現在の状態については確認できない部分がある。
- 二つの墓所は、家康の埋葬と死後の祭祀の歴史をそれぞれ伝えている。
「徳川家康の墓は日光と久能山のどっち?」という疑問には、最初の埋葬地は久能山、その後に遷座が行われた墓所は日光、と答えるのが適切です。
どちらか一方が本物で、もう一方が偽物というわけではありません。
戦国の世を生き抜き、江戸幕府を開いた家康。その死後の歩みをたどると、久能山と日光という二つの場所が、徳川家にとっていかに大切だったかが見えてきます。
実際に東照宮を訪れる機会があれば、社殿だけでなく、家康の墓所にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
参考資料・出典
本記事は、以下の神社公式資料、自治体の文化財解説、歴史資料を参考に作成しました。
- 久能山東照宮「由緒・祭礼・年間行事」:家康の遺言と久能山への埋葬について。
- 久能山東照宮「久能山の歴史」:久能山と家康の関係、東照宮創建の経緯について。
- 日光市「旧日光市歴史年表(江戸1)」:1617年の霊柩移送と日光への遷座について。
- 日光市「日光の社寺:東照宮」:奥社宝塔の歴史と構造について。
- 日光市観光協会「奥社宝塔(日光東照宮)」:家康の神柩と奥社宝塔について。
- 江戸東京博物館「徳川家康が久能山から日光山へ改葬された道順が載っている本」:霊柩の移送経路と関連文献について。
- 静岡市「久能山東照宮/日本平ロープウェイ」:久能山東照宮の歴史と参拝について。
- 国立国会図書館・レファレンス協同データベース「徳川家康が久能山から日光山へ改葬された道順が載っている本」:1617年の霊柩移送経路と参考文献について。
※家康の遺骨については、史料に記録された埋葬・遷座の経緯と、墓所内部の現在の状態を区別して記述しています。
※記事内の人物・他の画像はAIで生成したイメージです。実在の人物・他とは関係ありません。















