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	<title>上杉 謙信 名言に関する記事一覧 &#8211; 駅と観光と言葉の情報</title>
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	<description>駅やそこからの観光や言葉の意味など発信します</description>
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		<title>上杉謙信の家紋の由来と死因や辞世の句の意味や墓所の場所について！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ekiblog]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 Jul 2021 21:00:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史の疑問・由来]]></category>
		<category><![CDATA[上杉 謙信 名言]]></category>
		<category><![CDATA[上杉 謙信 家紋]]></category>
		<category><![CDATA[上杉 謙信 死因]]></category>
		<category><![CDATA[上杉 謙信 辞世 の 句]]></category>
		<category><![CDATA[上杉 謙信 酒]]></category>
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					<description><![CDATA[上杉謙信公の家紋や名言や辞世の句について、意味を深堀してみようと思います。 「極楽も地獄もさきは有明の月の心にかかる雲なし」の辞世の句は、謙信公らしい...]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>上杉謙信公の家紋や名言や辞世の句について、意味を深堀してみようと思います。<br />
「極楽も地獄もさきは有明の月の心にかかる雲なし」の辞世の句は、謙信公らしい義を全うしたからですね。<br />
また亡くなった最後の状態や死因や、お墓などの埋葬場所などについても、上杉家の墓所の場所について調べてみたので紹介します。<br />
家紋は「竹に二羽飛び雀」です。</p>

<p>&nbsp;</p>
<h3 class="style3a">上杉謙信公の家紋は「竹に二羽飛び雀」と「五七桐」！</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>上杉謙信の出身は、三条長尾家。<br />
長尾氏の家紋は元々は<br />
<strong>「九曜紋」</strong><br />
と呼ばれます。<br />
越後長尾氏は、元は桓武天皇の子孫である、「桓武平氏」である、鎌倉一族。<br />
なので、多くの桓武平氏の子孫の方はこの<br />
「九曜紋」<br />
を家紋にしていたようです。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2938" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/kuyoutomoe.jpg" alt="九曜巴紋" width="300" height="300" /></p>
<p>しかも、同じ九曜紋でも丸の中の紋を「巴」にした<br />
<strong>「九曜巴」</strong><br />
を使用していたとされています。<br />
太鼓の皮に貼られる紋が巴ですね～～</p>
<p>一方、関東管領職の上杉家の家紋はこの竹に雀なんだな。</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2937" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikensinkamon.jpg" alt="竹に二羽飛び雀紋の写真" width="268" height="180" /></p>
<p>越後守護代の「上杉定美」氏は、子がなく越後一国の内乱を鎮め、越後長尾氏の3つの氏族をまとめた、上杉謙信（当時は景虎）に、守護職を譲りました。<br />
その上司は関東管領職の「上杉憲政」ですが、こちらは、関東管領職を「上杉謙信」に禅譲。<br />
その時に譲り受けたものの中に「家紋」もあったんだな。<br />
これが竹に雀の家紋です。</p>
<p>上杉謙信の家紋と言えば（上杉家）<br />
<strong>「竹に二羽飛び雀」</strong><br />
が有名です。<br />
この画像に寄ります。</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2936" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikensinkamon2.jpg" alt="竹に二羽飛び雀紋の写真" width="130" height="130" /></p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2935" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikennsinnkamon4.jpg" alt="竹に二羽飛び雀紋の写真" width="280" height="280" /></p>
<p>この竹の文様は「上杉笹」と呼ばれます。<br />
しかし、笹の葉の枚数ですが、3枚の図柄もあるようです。<br />
どっちが正しいのか、調べてみたのですが、明確にはわかりませんでした。<br />
ただ、関東管領の「上杉憲政」の家紋は、葉の枚数が五枚です。<br />
いずれ、同じ家紋でも何種類かを有しているようです。</p>
<p>しかし基本は<strong>「竹に二羽飛び雀」</strong>です。</p>
<p>しかしもうひとつあるんだな。<br />
<strong>「五七桐」</strong><br />
の家紋です。<br />
これは、天皇家など特殊な方しか、用いられない紋です。<br />
（恐れ多いので画像は遠慮いたします）</p>
<p>上杉謙信が、「1559年」上洛し「正親町天皇」に謁見した際に、天皇より下賜されたものと言われます。<br />
現在では、菊の紋の次の格式に該当するようですね。<br />
総理の記者会見の演題にも、この家紋があったように思います。</p>
<p>いずれ上杉家の家紋は、この2つになりますが多くの場合は<strong>「竹に二羽飛び雀」</strong>です。</p>

<p>&nbsp;</p>
<h3 class="style3a">上杉謙信の辞世の句の内容とその意味を解釈してみる！</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>上杉謙信公の辞世の句は以下のようなものになります。<br />
いかにも、お酒好きの謙信公ならではの内容に感じます。</p>
<blockquote><p>「一期の栄は一盃の酒　四十九年は一酔の間　生を知らず死また知らず　歳月またこれ夢中の如し」</p></blockquote>
<p>一杯の盃に、人生を凝縮し、人生は酔ってる間の夢！<br />
生きることも、死する事もなく、人生これ夢の中のこと・・・かな・・多分。</p>
<p>もう一つ、こちらも辞世の句ではないかといわれています。</p>
<blockquote><p>「極楽も地獄もさきは有明の月の心にかかる雲なし」</p></blockquote>
<p>死んだ先の行き場所が、地獄であろうと極楽であろうと構わない。<br />
なぜなら私の心は、有明の月のように、一点も曇りもない・・そんな意味かと。<br />
義を重んじ、義によって戦さ場を駆け巡った人生で、まるで侵略に縁がない方でしたが、そういった意味では、一点の曇りもない人生に感じます。</p>
<p>今の時代こういう方いるかな?<br />
さて?<br />
思いつきません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="style3a">上杉謙信公の死因は？現在のお墓は米沢の上杉御廟！場所のマップも！</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2917" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikensinyoroi.jpg" alt="上杉謙信公の銅像" width="640" height="480" /></p>
<p>以下のように説明されています。</p>
<blockquote><p>3月9日、遠征の準備中に春日山城内の厠で倒れ、昏睡状態に陥り、その後意識が回復しないまま3月13日の未の刻（午後2時）に死去した。享年49。倒れてからの昏睡状態により、死因は脳溢血との見方が強い。遺骸には鎧を着せ太刀を帯びさせて甕の中へ納め、漆で密封した。この甕は上杉家が米沢に移った後も米沢城本丸一角に安置され、明治維新の後、歴代藩主が眠る御廟へと移された。<br />
（wikipediaより引用）</p></blockquote>
<p>お酒が大好きだったので、高血圧気味だったのかもしれません。<br />
すごく残念です。</p>
<p>亡くなったのは1577年です。<br />
関ケ原の戦いが、1600年です。<br />
あと23年。<br />
十分に射程圏内でしたね。<br />
もしかしたら（タラレバは禁物ですが）、豊臣政権にはくみせず、それこそ伊達政宗、徳川家康公を巻き込み、一大決戦だったかもしれません。</p>
<p>墓所は米沢市の、上杉御廟ですが、ここには依然行ったことがあります。<br />
またお参りしたいですね。</p>
<p>場所はこちら！</p>
<p><iframe loading="lazy" style="border: 0;" src="https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3147.6791610934774!2d140.08940641530359!3d37.91456131187759!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x5f8af01a4cf62f87%3A0xf50fd637586efc84!2z57Gz5r6k6Jep5Li75LiK5p2J5a625buf5omA!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1626846390928!5m2!1sja!2sjp" width="600" height="450" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p>米沢市のほぼ中心部。<br />
米沢駅からだと、歩いて結構ありそうです。<br />
米沢線の、「西米沢駅」からだとすぐですね。</p>

<p>&nbsp;</p>
<h3 class="style3a">上杉謙信公の名言集！家訓十六ヶ条の碑！</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2921" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikensin14.jpg" alt="上杉謙信ゆかりのイメージ写真" width="640" height="480" /></p>
<p>上杉謙信公の御廟の入り口に、上杉家の「家訓十六ヶ条」の碑が立っているようですね。<br />
沢山の名言がありますが、これをもって、私は名言としたいと思います。</p>
<p>以下のようです。</p>
<ul>
<li>一.心に物なき時は心広く体泰（やすらか）なり<br />
一.心に我儘（わがまま）なき時は愛敬（あいきょう）失わず<br />
一.心に欲なき時は義理を行う<br />
一.心に私なき時は疑うことなし<br />
一.心に驕（おご）りなき時は人を教う<br />
一.心に誤りなき時は人を畏（おそ）れず<br />
一.心に邪見（じゃけん）なき時は人を育つる<br />
一.心に貪（むさぼ）りなき時は人に諂（へつら）うことなし<br />
一.心に怒りなき時は言葉和らかなり<br />
一.心に堪忍（かんにん）ある時は事を調（ととの）う<br />
一.心に曇りなき時は心静かなり<br />
一.心に勇みある時は悔（く）やむことなし<br />
一.心賤（いや）しからざる時は願好まず<br />
一.心に孝行ある時は忠節厚し<br />
一.心に自慢なき時は人の善を知り<br />
一.心に迷いなき時は人を咎（とが）めず</li>
</ul>
<p>いずれこれは、心の在り方を説いているようです。<br />
この言葉を、全部全うすればどうなるんでしょうか？</p>
<p>悟りの境地？？</p>
<p>一般人には、なりえそうにもないような、内容に感じます。<br />
しかし、一言一言を、かみ砕いて読んでいくと、いずれすべてそのように感じます。</p>
<p>全部は暗記できないな！</p>
<p>・・・・・・・・・・・・<br />
本ブログ内の歴史絵巻の記事を、まとめてみました。</p>
<p><a href="https://www.subvertise.org/sengokusaikyo/">戦国武将で最強人気は誰だ?石高ランキングや増え方の評価資料まとめ!</a></p>
<p>上杉謙信公の、石高の増え方の推移を年表にしてみました。</p>
<p><a href="https://www.subvertise.org/uesugikensinkokudaka/">上杉謙信の石高(領地)の推移と増え方を年表で！毘と龍の旗の意味は？</a></p>
<p>戦国の時代ですので、ある意味予測の部分もありますが、私の推測をまとめてみました。<br />
・・・・・・・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3 class="style3a">上杉謙信公の家紋や名言などの感想とまとめ！</h3>
<p>&nbsp;</p>
<p><img decoding="async" class="alignnone size-full wp-image-2919" src="https://www.subvertise.org/wp-content/uploads/2021/07/uesugikensin12.jpg" alt="上杉謙信ゆかりのイメージ写真" width="640" height="426" /></p>
<p>上杉謙信公の、側面について調べてみてきました。<br />
<strong>家紋</strong>ですが、これは同じ上杉でも、数種類存在するようですね。<br />
<strong>笹の数</strong>が違います。</p>
<p>これについての私の感想は書きましたが、関東管領の「上杉憲政」より、譲り受けた家紋は、やはり関東管領の家紋の、上杉なんだと思います。<br />
なので、その時の家紋の笹は「５枚」なので、当初は５枚だったのでは？<br />
そう思いました。</p>
<p>戦国武将で、数少ない名門での藩を維持した、上杉家はある意味、<strong>貴重な存在</strong>に感じます。<br />
武田家は滅んでしまいましたし、この時代の名だたる諸将は、江戸時代までの存続は、かなり厳しかったんだと思います。</p>
<p>まして、100万石以上の藩となると、カリスマが去ればそこはまさに、草刈り場だったかもしれません。<br />
それを維持し、死守した上杉景勝と補佐した、直江兼続は立派だったな～～と感じた次第です。</p>
<p>皆さんは如何思いますか～～～？？</p>
<p>＊この時代背景を整理して理解したい方には、<br />
図解でまとめられた書籍も参考になります。</p>
<p><a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/ichiba/0976fab7.b4c03314.0976fab8.38597618/?pc=https%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fbook%2F18269443%2F&#038;link_type=text&#038;ut=eyJwYWdlIjoiaXRlbSIsInR5cGUiOiJ0ZXh0Iiwic2l6ZSI6IjI0MHgyNDAiLCJuYW0iOjEsIm5hbXAiOiJyaWdodCIsImNvbSI6MSwiY29tcCI6ImRvd24iLCJwcmljZSI6MSwiYm9yIjoxLCJjb2wiOjEsImJidG4iOjEsInByb2QiOjAsImFtcCI6ZmFsc2V9" target="_blank" rel="nofollow sponsored noopener" style="word-wrap:break-word;">『地図でスッと頭に入る 豊臣一族の戦国時代』（楽天） （書籍） [ 小和田 哲男 ]</a></p>
<p>・・・・・・・・・・・<br />
伊達政宗公の、関ケ原以前と以後の石高の推移を、まとめてみました。</p>
<p><a href="https://www.subvertise.org/datekokudaka/">伊達政宗の関ケ原以前と以後の石高と兵力動員数は？生涯年表で表示！</a></p>
<p>武田信玄公の、石高の推移を、年表でまとめてみました。</p>
<p><a href="https://www.subvertise.org/takedasingenkokudaka/">武田信玄の石高の推移年表と兵力動員数！風林火山は孫子兵法が由来！</a></p>
<p>兵力動員数についても、すいてしてみました。</p>
<p>*家紋の基本は崩さずとも、複数あるんですね～～多分！<br />
ヘッダーの写真は、私が撮影した仙台市の、仙台城址公園の夜景の写真です。<br />
仙台の観光では、とても人気の場所です。<br />
石垣がすごいですよ～～～</p>
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