松島の地名は「見仏上人」に由来も歴史に名だたる方の複数説あり

松島の地名は「見仏上人」に由来するようですが関連する歴史上の人物がすごいです!

  • ①:聖徳太子と達磨大師の説
    ②:見仏上人と鳥羽上皇の説
    ③:源頼朝夫人政子と見仏(けんぶつ)上人の関連説
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単純に島に松が多いから?ではなさそうです!

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松島の地名の由来!聖徳太子と達磨大師の説

「松島」
の地名の由来にまさかの
「聖徳太子」
が絡んでるとは夢にも思わず。

「松島駅」
に掲示の「松島」の地名の由来のボード。

松島の地名の由来

この「松島」の地名の由来説明版の①番目が
「聖徳太子」
にまつわる由来。
内容は以下。

聖徳太子が「達磨大師」の我が国への渡来を信じて、扇谷に
「庵」
を構えて待った。
そのことから
「待つ」

「松」
に転じて「松島」になったという説。
(説明版より抜粋して転記)

さて?
信ぴょう性はあるかな~~と。
ロマンとしては素晴らしくいと思います。

松島の地名の由来!見仏上人と鳥羽天皇の関連説

「見仏上人」(けんぶつしょうにん)
にまつわる由来説です。

「見仏上人」(けんぶつしょうにん)
が、「雄島」で修業中に
「鳥羽天皇」
が、松の苗木一千本を送り慰めたと。
そこから
「千本の松の島」
という意味の
「千松島」
と呼ばれ後に
「松島」
になったという説。
(説明版より抜粋して転記)

これは、ありうると思います。

松島の地名の由来!源頼朝夫人の政子と見仏上人の関連説

「北条政子」
氏の登場。

同じく「雄島」で修業中の
「見仏上人」(けんぶつしょうにん)
を慰めるために
「姫小松千株」
を贈ったと。
このことから
「千松島」
と呼ばれ後に
「松島」
と呼ばれるようになったと。
(説明版より抜粋して転記)

さて、信ぴょう性の方はどうでしょうか?
あながちないとも言えないように感じます。

松島の地名の由来に出てくる「見仏上人」とはどんな方?

松島雄島の渡月橋の景色の写真

由来に出てくる
「見仏上人」(けんぶつしょうにん)
はこんな方の説明です。

鎌倉初期の僧。奥州松島の雄島に住み,法華経の教義を人びとに授けた。法華浄土への往生を説いて,死後の不安を解消させた。死者の声を伝達することもあったらしい。空を飛ぶ超能力で知られる。「月まつしまの聖」「空の聖」の別称がある
(朝日日本歴史人物事典)

さらに

1104年(長治元年)に伯州(伯耆(ほうき)国、いまの鳥取県中部および西部)からこの島(松島の雄島)に来て妙覚庵を結んだ。

とあります。
雄島は当時

「死者の霊が相集う特別の空間で、今生から後生に移行する中間点 此岸から彼岸への橋頭堡だったと」

そのように言われていたようですね。
雄島はわたしが写真を紹介しました。

おそらくですが、その当時の祠跡だったのかな~~と。
一人で歩いていると、なんとも変な気分になるような気もしてくるところ。
しかし
「渡月橋」
はとてもきれいです。

いつかここから「松島の月」の写真を撮影してみたいな~~と思っています。

松島の地名と歴史的な背景などまとめ

松島雄島の渡月橋の景色の写真

「松島」
の雄島は
「待つ島」
なんだそうな。

此岸から彼岸へ渡るのを待つ島。
松島は「極楽浄土」への中継地点。

そういった考えから「北条政子」は
「源頼朝」
の冥福を祈って「仏舎利二粒」を納める「水晶五輪塔」を寄進したとあります。
それは瑞巌寺に残っていると。

なので、「北条政子」の説は当たりかもしれませんね。
一方、「鳥羽天皇」のおぼえも良かったようです。

いずれ「見仏上人」にまつわる説が複数あるということは
「見仏上人」
説で確定の気がします。

「雄島」
にはこんな由来があったんですね~~
単純に写真を撮影に何度か足を運びましたが、今回はとても勉強になりました。

松島にいったら「雄島」に行ってみてください。
「渡月橋」
はとてもきれいです!

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*ヘッダーの写真はわたしが撮影した松島駅から見た正面の風景写真です。
本記事内の写真はすべて私の撮影です。

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